小学生の頃から西域に憧れをもっていた井上靖は、 『敦煌』、『楼蘭』を執筆していた当時は同地に入ることが叶わず、 1965年、58歳にしてはじめて中央アジア(ロシア領西トルキスタン) を訪れることができました。 普段、小説の取材をする時は、ノートにメモをとり、 自分の眼に焼き付ける手法をとっていましたが、 この時は次の機会があるかが分からなかったため、井上自身がカメラを携帯。 しかし、かえってそれが仇となり、ノートは手薄になり、 撮った写真は現像してみると失敗していました。 そのため、以後は、写真係として娘さんが同行することに。 ところが、1973年にアフガニスタン、イラン、トルコを巡る旅では、 娘さんが結婚したため、再び井上自身がカメラを携帯しました。 友人である毎日新聞社カメラマン、二村次郎の助言により、 最も間違いの少ない、距離を無限遠、絞りを日中11、夕方8に固定し、 あとは機械に任せました。 それが功を奏し、この時の写真について以下の記述がのこされています。 「イランやトルコでは雲をたくさん撮った。雲が美しいので撮ったのでなくて、 雲の形を撮っておきたかったのである。アフガニスタン、イラン、トルコ、 それぞれの国で雲の形は異っていた」 実は 、この旅のあと、井上靖はパリも訪れているのですが、 そこでは「撮すべき何ものもなかった」と述べています。 そしてついに1978年には、かねてから切望していた敦煌(中国領河西回廊)を はじめて訪れ、ここでもやはり雲を撮影しています。 平原の雲と小学生の頃の憧れが、重なった風景なのかもしれません。 

*参考文献 「レンズに憶えておいて貰った沙漠の旅
初出:197511日発行『カメラ毎日』1月号 毎日新聞社 (『井上靖全集 第二十七巻』収録 新潮社 1997年) 「時計とカメラ」

初出:197521日発行『オール読物』新春特大号 文藝春秋 (『井上靖全集 第二十三巻』収録 新潮社 1997年)

*協力 写真提供=ふるさと 井上靖文学館 *写真キャプション 《19785-6月 初めて見た敦煌の雲》