《バターリャ(ポルトガル)にて》

巖谷國士は子供のころから放浪癖があり、よく街を歩いていたといいます。大学に入ってからは日本中を歩いてまわり、さらにはヨーロッパ、アジア、北アフリカや南北アメリカへと、様々な国を旅するようになりました。はじめは写真家の伯父などから借りた小型カメラを持ち、その場その場で自分自身の目が反応した光景を、スナップで撮影していたようです。その根底にあったのは、ファインダーの「枠」で現実を切りとったとたん、与えられた現実ではなくなるということへの強い喜びと驚きでした。その後も機種にこだわりはなく、キヤノン・オートボーイ、リコーのGシリーズなど、小さくて軽いカメラを使ってきました。そんな機種で撮った写真が評価され、雑誌やカレンダーや個展などの注文が来るようになったのです。

巖谷國士の写真では、トリミングや合成で手を加えたりせず、三脚やフラッシュすら使いません。また、写真に何らかの意味を込めたり、場所を表現しようという意図もないといいます。目の前の光景に身を預け、この地上あるいはこの歴史の中でただ一瞬しかない「一点」に反応して、シャッターを切る。それはシュルレアリスムの実践でもあり、そのとき「心の中で叫ぶような感覚がある」と述べています。

例えばこちらの写真では、大聖堂のそばを走る子供の影が、なぜかちょうど十字架の形になっています。それに気づいたとき、私たちもまた、驚異の叫びをあげたくなるのです。